漢字と日本人

 例によって公民館です。 高島俊男著 2001年10月 文春新書。
 たいへん面白い本でした。 (昨今の下世話な社会問題のこと書いた本ではありません ^^;)
 かつて日本に文字は無く、千数百年前に中国からその時点で二千年近い歴史を持つ漢字が入ってきた。 二千年の歴史や概念を高次に表現できる文化として漢字は洗練されていた。 言葉の表現として漢字を用いていた漢語と日本語はルーツを違う言語だったため、日本語を漢字で書く・・ その習得は大変な困難と混乱を巻き起こしたことは想像に難く無い。 大変なカルチャーショックだったけれども、日本人は巧みに漢字を取り込み生活に生かしてきた。
 明治以降、急激に増えた外来語に対応するため? 文字の音 (sound) を無視 (軽視) して文字面の意味だけを利用して漢字を当てはめていった新造語が膨大に生まれ (鉄道、線路、汽車、電車、自動車、自転車、道路、飛行機、航空、郵便、電信、電報、電気、電話・・) 、おかげで同じ音でも意味の違う言葉が大量に生成された (大量、大漁、退寮・・ 生成、精製、清生、整斉、清々・・) 音だけ聞いても意味不明になっている。
 後半では、西洋との接触にかぶれた官僚制度や工業重視の政策などにより、漢字文化そのもの (つまりは日本の過去) が軽んじられ、弄ばれてきた点を歴史的に検証 (怒りをぶつけて) しています。 そう、今回の怪しい財団法人が主催している検定 (うちの娘も受けてますケド・・) が内包している問題のルーツも、結局こんなところにあるのねという漢字 (感じ!) がしてますわ・・