真実はどこに?

 それは「日本テレワーク」であったり「不二家」であったり、はたまた「事務所経費」であったり「給食費不払い」であったり・・ ここのところ親として子供になんて話したらいいの? って感じですなぁ・・
 それと最近の事件って「根っこはみんな同じ」に感じますよね。 たぶん弥生時代とか奈良平安時代でも似たようなことが起きてたような気がします。 いつの時代でも、もちろん国境にも関係なく、社会というか人間の中には数パーセント(数十?)の割合で "何も気にしない人" というのがいて、たまにその時の社会の中でモラルに問われて話題になるということなんでしょうか。 これだけ多くの人間がうじゃうじゃ生きているので、ある程度は相互信頼性が確保されてないと社会が成り立たないとは思うのですが・・
 一方こうやって感じていることも実はテレビやネットや新聞記事からのいわゆる "脚色・編集された二次情報" からの推測とか感想であって、自分の目で確かめた訳でもなく、関係者に直接話を聞いた訳でもない・・ それが正しい判断なのかも判らない。 う〜ん、なんなんだ・・ 結局社会にあふれている情報の中で何が真実に近いかというのは自分の判断しかないってことなんでしょうね。
 子供にどういう風に話をしていいのかというのは尚更悩むところです。
 例えばテレビで言うとほぼ真実と言えるのは「生中継」でしょうか。 さすがに箱根駅伝の生中継は100%事実でしょうね (怪しい?笑) 一方「生放送」といっても当然進行を含めて「脚本」があり、あらかじめ脚色されて放送されている訳で・・ 今回の納豆に限らず**業界とつるんで市場操作的事前工作をするのは罪が深いと思いますが、それだって我が家を含めてほとんどの視聴者はとっくに気がついていたことですよね。 これは我が家でも「**は最近売れなくなってきたんでTV局に頼んで特集してもらってるに違いない」とか言って笑い飛ばしてました。
 バラエティー番組のなかで多少でも真実と異なると誇張とかやらせとか捏造とか言って、ネットや他のマスコミが糾弾していますが、それもなんとなく白々しい感じもします。 それでもテレビ局は「自分たちは公共性の高い仕事をしている」と言ってますが(新聞も同じですか・・爆))、今回のように絶対的な真実を求める態度や、テレビや新聞だからといってお上信奉的な期待というのは、どだい無理な要求をしているような気もします。 テレビなんてたかだか50年の歴史しかない訳ですし・・
 「語られない真実は存在しない」というのは反面的な事実だけれど・・ 「語られた瞬間真実は存在しなくなる」というのも真実ということでしょうか。