老中阿部正弘

akaisan2006-01-20

 明治維新勉強シリーズです。 図書館で「幕末外交と開国」という新書を借りてきました。 教科書的には「黒船に乗ってペリーが浦賀にやってきて、1854年江戸幕府日米和親条約を結びました。」の数行で語られる歴史ですが、黒船来航から条約締結に至る状況を日米双方の一次資料をベースに検証している本です。 いや〜152年も前のことですが、人間の英知は深いものです。
 約300年の鎖国期間があったとはいえ、江戸幕府は世界に対してのアンテナをきちんと持ち、英仏露などがアジアで展開していた「帝国主義的覇権外交」「国際法における最恵国待遇」の意味をきちんと理解していたわけです。 そして、当時の新興国であるアメリカとの国交樹立を優先し、アメリカも(外交テクニックとしての一種のハッタリ・脅かしはあるにしても・・)アジアへの拠点づくりとしての意図を持ち、友好的に日本との交渉をスタートしています。
 しかし読んでみて驚いたのは若き老中阿部正弘(当時35歳です!)を筆頭にしての幕府、また日本人の高い情報咀嚼力・外交能力でしょう。 1年前からペリー来航を事前情報としてつかみ、我彼の海軍力を把握しており、米国の来航目的をほぼ完全に掴んでいます。 また会談に臨んでは国対国、人間対人間の視点があり、劣等感もコンプレックスも偏見もなく、正論を持って粘り強くきちんと交渉しています。 国内においては幅広く意見を求め、勝海舟他の極めて優秀な人材を登用しています。 この阿部正弘の外交戦略のおかげで、当時の列強の植民地主義から日本そのものが救われたといっても過言ではないようです。 和親条約締結の後、1855年に長崎に海軍伝習所を設立しますが、残念ながら阿部正弘はこの3年後に39歳で病没してしまいます。
 いや〜歴史は奥が深いです・・