社会の平和

 やはりおかしなことが多くなってると感じる。
 人身事故といいつつ電車が止まっても、毎日100人からが自殺していく日本ではもはやニュースですらない。 一方子供を対象にした犯罪、子供同士の事件が増え、教室は日々荒れている。 大人はみんな不機嫌そうな表情で、ストレスを抱えていながら自信のなさを口に出せないでいる。 気がつくとあちらこちらで弱いところにひずみが現れてる。
 都会では、物質的豊かさと引き替えに自然とふれあう時間を無くし、互いを気遣う気持ちを亡くしてきた。 失ったものの代償はあまりにも大きい。 昔風の日本的ライフスタイルが良いのか、良かったのか、僕には解らない。
 TVやパチンコが日本人を総白痴化するといった議論が昭和のころにあった。 それはそれで時間が証明しているところなのかもしれない。
 今注目すべきは不安定なコミュニケーションとあふれかえっている情報だろう。 コミュニケーションの手段が多様化した分だけお互いのコミュニケーションは希薄になってきているのではないか。 うわべだけの表現にこだわり過ぎ、とらわれ過ぎ、本質的に伝えたいことを見失っていないだろうか。 それに反して情報は瞬く間に日本中、世界中に拡散する強いパワーを持ち、しかも不可逆だ。 そのパワーに触れるのは快感だが、強い力で僕たちから時間と気持ちを奪ってゆく。 しかも全容を知り得ず、そこには悪意までも含まれてある。 僕たちはあまりにも無防備だ。