「しぶき」 創部30周年記念号 1979

 手元に「しぶき」という部誌があります。 広島大学ヨット部の部誌です。 通算16号にあたります。 この号の編集人は西のさんという当時の3年生。 印刷は金正印刷というOBの経営する印刷会社です。 中身の部分で64ページ。 広告が74件あります。 広告は確か1/8ページで4,000円だったように記憶しています。 ただし裏表紙とか、表紙裏とかはやや高めの設定。 当時出店を開始していたポプラというコンビニが裏表紙の広告を出してくれています。(毎日バイトを送り込んでいた) またOBの関係する会社もたくさん出稿してくれています。 その他部員が飛び込みでかき集めた広告もあります。 街の食堂とか喫茶店、下宿街の雀荘とかの広告はほとんど寄付の世界ですが、小さな広島の街で「広大のヨット部です。部誌発行に広告をお願いします。」と頭を下げれば、何回かに1回はお願いを聞いてもらえたような記憶があります。(^^)
 実はこの号に秋合宿〜中四国インカレのことを日記風に記事を載せています。 文章も下手でちょっと長文になるのですが、ここにそのまま書き残しておこうと思います。

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 ノンフィクションストーリー「秋風一吹」
 プロローグ
 S53年10月3日、夜の7時集合、本日より秋合宿。宿舎は夏と同じく宇品造船所独身寮跡(元宇品) 部屋は203号室で、スナイプ陣の足立・藤上・山田と同じである。
 ミーティングでは各自秋合宿への抱負を述べる。僕は翌月の中四国インカレに出場を果たし、レースでは絶対みっともない格好をさらさないようにすると言った。そうなのだ、セコハンが兼田さんしかいない状態ではスナイプはすべて新人クルー、470も2人は新人クルーが中四国インカレに参加するのだ、夏合宿とは違うと思うといくぶん自分の胸も熱くなる。部屋に帰って4人で少し話す。夏に多勢いた新人も半分以下の11人だ。僕は夏のときと同じベッドに横になって色々考えた。夏合宿ではよく乗ったけどあまり深い印象が無い。本気で乗ってなかったなんてことは全くないけど、具体的な目標が目の前になかったからそんな感じがするのか。しかし今や中四国インカレは目の前だ。藤上や山田はeinで帰ってくると言っている。よーしオレも。
 パート1
 10月4日(晴軽風)スキッパー村田氏。ほぼ一ヶ月ぶりにヨットに乗り、ハッスルしたが基本動作が荒いと言われ、自分でもそう思う。結局ミーティング時には反省点が山のように残り、良かったのはやる気が見えたということだけ、いよいよ始まったなあと思いまた先の長さを考え、アリナミンを飲んで寝た。明日からは6時起床。
 10月6日(曇強風)スキッパー大中氏。白波が立ってまるでウサギかひつじの群れのような今日、僕は入部以来初めて沈した。ビュービュー吹く風の中スピンを上げて一回目のジャイブ、とそのとたん沈、スピンはマストにからみついて再起不能、艇を起こし、チャッカーに助けられバケツでアカを汲み出した後、走り出したらバウを海に突っこんでバウ沈、一回目の沈が長かったために156のバウとサイドタンクの中に多量に浸水していたためだ。結局僕はこの日の午後はほとんど海の中ですごした。
 セールをかついで宿舎へ帰る途中急に静かになったような海とオレンジ色に染まった西の空がうらめしくなる。夕食をすまし風呂に入った時、今こそ人生最高の時と悟った。ミーティングは眠いばかり。眠りの足立はと見ると、とっくに良く寝ていた。
 10月8日(晴)本日食当。連日良く吹くので待ちに待った食当。設備の整った宿舎の調理場で僕と米田さんは今までヨットマンたちが合宿に於いて見たこともない、と思われるごちそうを作った。5時間かけて作った夕食のメニューは、ロールキャベツ、クリームスープ、マカロニサラダ、たくあん、品数だけでなく味も一流であったためかバカ受け。女の子の偉大さを感じた一日でありました。明日は中日。
 パート2
 10月9日、夜の9時集合、即座学、レース時にスタートの時にクルーがやらなくてはならないことの詳しい説明。470旗、P旗、ラインの見通し、デインジャラスラインの確認など、スタート前にやることは多いが、まず上マークを見つけることだ。
 10月10日(晴順風)スキッパー西の氏。吹いた時にスピンをつぶさない、スムーズな動作、ブローに注意、ラフィングが合わない、上の艇がのぼるのを見落とすな、腕力の養成、充分あ報告など今さらながら不十分なことばかり多いと痛感、しかしよく吹く、皆さんクルーザーでクルージングに行った野村をうらやましがることしきり。
 10月12日(晴順風)スキッパー葛城氏。午前中はクルーの皆さんの風神様へのお願いが効いたのかベタ、しかしその分ガッツも出ずそのまま昼から吹き始めたなかでまずってばかり、情けなくなる。今日も夕日がきれいである。海を見てはまずブローを探し、煙突を見ては風の強さを考える、と自分たちに身についた変な習性のことでクルー諸氏はお互いにニガ笑いをする。最近は食当がおいしい夕食を作ってくれるので毎日楽しみである。
 10月14日(晴軽風)スキッパー梅木氏。楽勝な軽風、晴れ上がった空の下、僕の秋合宿は終わった。充実感と共になんだかちょっと寂しさも感じられる。不思議な気分だ。
 パート3 エピローグ
 松山堀江にこの中四国インカレが始まった。11月4日のこの第一レース配艇は 979-979大中甘崎、1246-1246西の兼田、1472-1472村田赤井で3日夜発表された。僕は興奮して4日になってもあせり気味、気持ちもうわずっている。しかしなってこった、スピンをフォアステイに巻きつけるわ、タックで単沈するわでトップを自ら逃がしてしまい結局6位、残念でならない。
 第二レース陸番をした後、第三レース再び村田さんと出場4位でフィニッシュしたもののDNSでチョン。
 そして11月5日、第4レース、第5レースは全く無風で、西のさんと出場、しかし風は0〜2mとほとんど無風状態。そのうえ潮は川のように流れ、各校とも苦戦するも我艇は第四レース右へレグを取ったのが大正解でトップグループ、その後トップを脅かしつつ走ったが結局バウの差で2位となり非常に残念。第五レースは全く無風であったが、出艇時陸の皆に「フレーフレー赤井!」と声援され「あした」と答えた時など十分に燃えてきた。マッスルさんが「全員海の水で顔洗うていけ。」と言ったので心の中でさすが、と思い顔を洗う。このレースはトップを除いて2位の僕と西のさん以下はタイムリミット。ここでも残念でしょうがなかったが、もうレースは終わり、得点を気にしながら浜へ向けてパドリング。
 おわりに
 広大は470級優勝、スナイプ級2位、甘崎と藤上がeinで帰った。ああeinが欲しかったなと思いつつ土曜の朝午前3時缶ビールをペンの友につづらつづらと書いた文。御精読ありがとうございました。

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